日本国憲法はすべての人に基本的人権を保障すると定めていますが、「外国人」にも同様の権利が与えられているのでしょうか?この疑問に大きな影響を与えたのが、「マクリーン事件」です。この事件は、外国人の在留資格と人権保障の関係を考えるうえで非常に重要な判例として知られています。本記事では、マクリーン事件の概要と判決内容を通じて、外国人の基本的人権がどのように保障されているのかをわかりやすく解説します。
マクリーン事件とは?
1970年代初頭、アメリカ国籍のマクリーン氏が日本の在留資格の更新を拒否され、裁判を起こしたことがこの事件の始まりです。彼は英会話講師として日本に滞在していましたが、ベトナム戦争への反対活動など政治的な活動を行っていたことから、法務省は在留更新を拒否しました。これに対しマクリーン氏は、「表現の自由などの基本的人権が侵害されている」として訴訟を起こしたのです。
争点は「外国人にも人権があるのか?」
この事件では、以下の2つの点が大きな争点となりました。
- 外国人にも憲法で保障された基本的人権があるのか。
- 行政による在留資格の更新拒否が、その人権を不当に侵害していないか。
日本国憲法の第11条および第97条は「すべての人」に基本的人権があると明記しています。しかし、第22条では「居住・移転及び職業選択の自由は公共の福祉に反しない限り認められる」とあり、「国民」という語が使われているため、外国人に対してどの範囲で保障されるのかが不明確でした。
最高裁の判断とその意味
1978年に出された最高裁判決は、次のような内容でした。
- 憲法上の基本的人権のうち、「人間一般に認められるべき普遍的な権利」は外国人にも保障される。
- ただし、その保障の範囲や程度は、在留の法的地位(正規滞在か不法滞在かなど)や日本の法制度に照らして制限される可能性がある。
- 外国人の在留資格の更新は「行政の裁量」であり、国の判断で制限される場合もありうる。
つまり、外国人にも人権は認められるが、必ずしも日本国民と同等に保障されるわけではなく、一定の制約がつくことが確認されました。
判決からわかる「外国人の人権の限界」
マクリーン事件の判決によって明らかになったのは、外国人に保障される人権は無制限ではないということです。特に、在留や出入国に関する権利は、国家主権に関わる問題とされ、国の裁量が強く認められます。
このため、「表現の自由」や「集会の自由」などについても、外国人であるという理由で制限される場合があります。例えば、日本における政治活動への参加は、入国管理上の理由で不利益を受ける可能性があるとされているのです。
一方で守られるべき「普遍的な人権」とは?
それでも、外国人であっても「拷問を受けない権利」「信教の自由」「裁判を受ける権利」など、人間として当然認められるべき基本的な権利については、原則として日本においても保障されます。
たとえば、労働基準法や最低賃金法などの労働法制も、外国人労働者に対して平等に適用されます。これは、「生存権」や「健康に働く権利」などが、国籍を問わず保護されるべき権利と解されているからです。
その後の判例と外国人の権利の発展
マクリーン事件以降も、日本では外国人の人権に関する判例がいくつか出されています。たとえば、永住資格を持つ外国人が生活保護の対象となるかどうかが争われた事件では、「法的権利」ではないが「人道的支援の対象」として認めるなど、状況に応じた判断が示されています。
また、近年では「技能実習生」や「留学生」「特定技能制度」など、外国人労働者が増える中で、雇用環境や生活権をどう保障するかが、社会的にも大きな関心を集めています。
マクリーン事件から学べること
この事件を通じて私たちが学ぶべきことは、次のような点です。
- 外国人であっても、人間としての尊厳は守られるべきであること
- 国籍によって権利の範囲に違いがある場合でも、その制限が合理的かどうかを常に問い続ける必要があること
- グローバル社会において、外国人を「一時的な滞在者」ではなく、共に生活する「社会の構成員」として捉える視点が求められること
まとめ
マクリーン事件は、「外国人に人権はあるのか?」という素朴な疑問に対して、法的・社会的な視点から多くの示唆を与えてくれる判例です。日本における人権保障のあり方を見直す契機ともなり、今なおその意義は色あせていません。
私たち一人ひとりが、このような問題に関心を持ち、外国人も人として尊重される社会を築いていくことが、真の「基本的人権の尊重」につながるのではないでしょうか。
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